本文へジャンプ


<語学コラム>







バナー
Home>>語学学習>>第二回:語学学習時の留意すべき事
第二回:語学学習時の留意すべき事

1. 語学学習で必要とするスキル。
 これは、普通に考えて、小学校の国語の時間を思い出すのが一番早道かと思います。

1)読む力(読解力、リーディング力)
2)聴く力(聴解力、ヒアリング力)
3)話す力(話力、スピーキング力)
4)書く力(筆記力、ライティング力)
5)文章力(文法力、グラマー力)

 と大きくこのくらいに分類されるでしょう。凄く当たり前の話ですね。

 日本語以外でも語学学習する上ではこれらのスキルアップを避けて通る事は出来ません。
また、これらのスキルは独立したスキルではなく、お互いが相互に影響し合っています。

と言う事は、コミュニケーション手段としての語学は、どれ1つが欠けても成り立たないとも言えます。

 英語においては、最近の学校教育が多少改善され、良くなってきていますが昔は結構いい加減な授業だったと思います。

 私は当時の学校の教育を受けて英語でコミュニケーションが取れる様になった人を知りません。
何故かと問うと、まず授業にヒアリングはありませんでした。

スピーキングに関しては正しい発音を教えられるスキルを持った先生に巡り会えなかった。
授業の大半は、文法と読解力に費やされました。その結果高校では、英語の科目はリーダーとグラマーに別れていました。

 この2つの力(リーダーとグラマー)を発揮するのは、読書の黙読くらいです。
 要するに、文章は理解できる様になっても、喋れないし生の英語を聞いても理解できないのでコミュニケーションが全く取れないのである。

 その学校教育の弱点を突いて、多くの語学教室が生まれました。

しかし、語学スクールにも教育方法に色々と差異があり、1~5の力を均一的に上げていくのには中々難しい場合もあります。ここは、語学教室の腕の見せ所と言ったところでしょう。


2. 文法力について

 語学教室にもよりますが「文法は知る必要はない」と言っているところがあります。

 実は、この言葉の含みには「自分が母国語を喋るのにいちいち文法を考えながら喋っている人はいないでしょう。」というのが隠されています。

しかし、本当にそうでしょうか?

 よくよく考えてみると、母国語を喋ったり、書いたりしている時に喋り方がおかしかったら、言い直しますし、書き直します。

この「おかしかったら」という発見は体が勝手に反応して文法理解しているからに他ならないと思います。

 確かに理論付けされた知識としての文法はコミュニケーションの場では知っていても全く意味をなしませんし使い物にもなりません。

 使えるとしたら、例えば古代文字を解析読解すると言った場合に役立つくらいでしょう。
 では、必要な文法力とは?どういうものなのでしょう。

 英語ではそれを一番わかりやすく解説してくれる媒介があります。

大西泰斗先生によりNHK教育で放映された
「ハートで感じる英文法―NHK3か月トピック英会話 (語学シリーズ)」

こちらは、DVDで当時の放映内容を入手する事も可能です。
「3ヶ月トピック英会話 ハートで感じる英文法 DVDセット」

又は、同じく大西泰斗先生による
「ネイティブスピーカーの英文法絶対基礎力 (Native speaker series)」
あたりを読むと突破口になります。

 これらの媒介で解説している英文法は、知識としての英文法ではなく文字通り心で感じ取る英文法です。

 心と言えば体の反応になりますが、要するに自分の気持ちを言葉にし文法と言う箱に乗せてコミュニケーションをとりたい相手に送り出す。

 その為にする事は、文法を単なる理屈で覚えるのではなく、「イメージの世界で脳裏に焼き付ける。」と言う事です。

 従って、文法は覚える必要はありません。体得するものです。

 尚、だからと言って、ヒアリングとスピーキングの習得を最優先にした場合、文法力は育つのでしょうか?外国人講師が喋っている言葉をひたすら聞いて文法力が養われるでしょうか?

 その答えは、年齢により変わります。生まれてから小学生くらいまでの脳の働きとそれ以上の年齢での脳の働きは徐々に年齢を重ねる事に変化してきます。

 まだ母国語でさえままならない年少期の脳はその脳が外界からのインパクトに反応して勝手に吸収する性質を持っています。

 この頃に与えたインパクトはどんどん吸収されます。従って母国語とか外国語とか言う区別をしているわけでもなく同じ脳の中に複数の言語をミックスさせてその言語イメージを構成(シナプス形成)していきます。

(シナプス形成について分からない方はこちら<ニューロン>を参照ください)

 しかし、年齢を重ねた脳は、徐々に理論立てた理解の形成を求める様になります。

 既にこの段階では母国語やそれまでに吸収した言語がシナプス形成によって脳にイメージとして刻まれていますが新たな言語を覚えようとした時は既に備わっている言語を比較の対象とし、新たな言語との差を理屈で覚えようとします。

そうやって理論武装された新しい文法体系で脳内にシナプス形成されます。

 尚、脳内にシナプス形成される場所は同じとも、違うとも言われており、論争を起こしています。

もともと脳の記憶メカニズムは分散配置型だと言われており、後は必要な時に分散した記憶を拾い集めて類推処理をし記憶を呼び覚ましている。

最近の研究ではバイリンガルの場合、記憶野ではなく左脳の尾状核に言語によって違う反応を見せる結果が出たとの報告も挙がっています。(参考)

 そして、大人となってしまった脳は子供に比べて柔軟な反応は出来ず、理論武装に固執します。これが、語学学習の最大の壁になるわけです。

 語学学習における文法力をどう向上させるかは年齢によってその手法を変えていく必要があるとも考えられます。

 但し、ここで一貫して言える事は、一番大切な事はどんな学習手段をとったとしても、文法はイメージ化して記憶し心が反応した時にそのイメージが自然に取り出せる様に条件(シナプス形成)付ける事です。


3. インプットとアウトプット

 コミュニケーションとは、相手がいてその相手とお互いの気持ちを共有することだと私は思います。

共有すると言っても、別に同意する必要はなく、お互いがお互いの気持ちを伝え、その相手の気持ちを受け取り、ただ相手はそういう状態なんだなと認識する事でよいです。

 お互いの気持ちを認識した上で、そこから自分がどう行動するのか又はそのことでどのような心の動きがあるのかを感じ、新たな気持ちのキャッチボールが起こる。

その連続がコミュニケーションと定義しても良いと思います。そこに国籍とか母国語とかは関係ありません。言葉は自分の気持ちを伝える手段の一つでしかありません。

 と言ってしまうと、先が続かなくなりますが、言葉はコミュニケーションを取る上で最も効果的な手段である事も事実です。

 では、言葉でコミュニケーションを取るとは?伝達手段なのですからインプットとアウトプットがあります。最初にリストした語学スキルをインプットとアウトプットの観点から考えてみましょう。

 まず、アウトプットとしては、スピーキングとライティングが挙げられるでしょう。また、インプットとしてはリーディングとヒアリングが挙げられます。

会話をする場合は主にスピーキングとヒアリングのスキルを使いますが、メールやチャットでは主にリーディングとライティングのスキルを使います。

また、プレゼンテーションや商談を行う場合はその全てを使う事もあります。そして、そのそれぞれのスキルに文法が常に引っ付いています。

 手段に関係なく同じ文法が使われるからコミュニケーションが成り立つのです。
では、もし各スキルで同じ文法が共有されなかったらどうでしょう。

例えば、Aさんは、日本語のヒアリングスキルとスピーキングスキルを持っています。また、Bさんは、日本語のヒアリングスキルと英語のスピーキングスキルを持っています。
(ちょっと現実的ではないですが、Bさんは日本語を聞き取る事が出来るが喋るのは英語しかできない。)

この場合、Aさん⇒Bさんには話が伝わりますが、Bさん⇒Aさんには話が伝わりません。
AさんはBさんの言っている事(英語)が理解できないので、次に何を喋ったらいいのかが分かりません。

要するにコミュニケーションにならないのです。
でもここで例えば、Aさんは英語のリーディング力を持っていて、Bさんが英語のライティング力を持っていたとしたら、Bさん⇒Aさんに話を伝える事が出来る事になります。

Aさん(日本語を喋る)⇒Bさん(日本語を聴く)⇒Bさん(英語を書く)⇒Aさん(英語を読む)
⇒Aさん(日本語を喋る)・・・・・・

ちょっと特殊な例を出しましたが、要するに話を出す側と受ける側の文法が一致して初めてコミュニケーションが取れるわけです。

もう一つ、現実的にある話をしましょう。

朗話者の方の場合です。

もうおわかりだと思いますが、一般的に無障害者はそれなりの目的か、必要性、趣味などでない限り手話を覚える事はないでしょう。

朗話者の方はその必要性から読話術を持っています。このような状態では話す事によって理解出来るのは朗話者の方で、朗話者の方が手話を使ったとしても理解できないでしょう。

 私は、以前入社当時の製造研修で工場のラインに入りましたがその時に私の実際の作業指導をしてくれたのが、朗話者の方でした、当然私は手話が出来ません。

どうやって、作業方法を教わったか、今でもはっきり覚えています。それは、私の前で実際に作業をやってみせる事、工場には作業指図書があり、そこに書かれている文字や図を指で指し示し、その部分の実際の作業をデモすること、簡単な身振り手振りを使う事、等様々な情報伝達手段を使いました。

これも、ある意味その朗話者が私が理解できるであろう文法レベルまで落とし込んでコミュニケーションをとったに他なりません。

簡単な例では、大人が3,4歳位の子供と話す場合も、相手が理解できる文法レベルに落とします。

これが、送り手と受け手の文法を合わせる事が大事な理由です。

 ところで、リーディング&ライティングとヒアリング&スピーキングでは若干の違いがあります。

 まず、ヒアリング&スピーキングの場合ですが、このインプット&アウトプットに要求する共通する別のスキルが有ります。

そう、ご存じの通り発音(フォニックス)です。日本人が一番苦手とする部分ですね。発音の詳細については複雑ですので、別途説明したいと思いますので、ここではそのスキルが要求されるとだけ認識してください。

ヒアリング&スピーキングでは発音という決まり事と文法を合わせて伝達する手段と考えればよいでしょう。

 次に、リーディングとライティングですが、こちらは主に視覚スキルを必要とします。

発音のスキルについては一見使わないかの様に見えますが、実は最近の研究ではこのスキルも重要な位置づけがされているようです。(私も最近まで知りませんでした。)

まず最初に、視覚スキルによって文字認識をしますが、脳内部の処理としてはその情報の大半が発音のスキルに変換された後で脳が内容を理解しようとするのだそうです。

尚、視覚スキルに関しては、要するに文字認識と考えればよいでしょう。またライティングには最近は2種類のスキルがあって、1つは手を動かし文字を書くスキル、もう一つが手を動かし文字をタイプするスキル。

どちらも手を動かすスキルという意味では同じですが、紙に書くのとキーボードを打つのでは違うスキルを要求すると考えた方がよいでしょう。

何故なら紙に書くは実際にその文字そのものを書く動作で、キーボードは、アルファベット書いてあるキーを順番に押すと言う作業で、更に漢字文化などでは、文字変換とかの作業を伴うからです。

しかし、これら2つのスキルは、何れもアウトプットした文字を視覚的に取り込み、自分が書こうと思っている文字になったかを認識する事で完了しますので、視覚スキルが基本になっている事に代わりはありません。

 発音スキルと視覚スキルの関連性については、視覚スキル⇒発音スキルで少し述べましたが。

その他、脳内処理はイメージによってシナプス形成されている為、最終的にこの2つのスキルはイメージの世界で関連づけられます。

 例えば「動く」を例にしてみましょう。

 これを読めば「動く」の文字が視覚から入って理解します。

「うごく」と発音しても脳内のイメージでは「動く」です。

文字を書いた場合も「動く」とちゃんと書けているかを視覚的に判断します。
タイプした場合も同じで変換された文字が「動く」とディスプレイに表示されて初めて認識できます。

聞こえてきた音が「うごく」だったとしても脳内で「動く」と解釈されます。要するに1つの単語を例にとっても、4つのスキルのインプット&アウトプットは全て共通のイメージ化がされるという事です。

 逆に言うと、コミュニケーションを取るという事は、この全てのスキルについて共通の理解が脳内イメージで反応を起こす必要があると言う事です。

 その為には、読んで、書いて、聴いて、喋るは切り離すのではなく、出来る限り同時進行で行い脳内シナプシス形成をさせる事が、上達の早道と考えます。

”近道”ではありません。”早道”です。語学学習に「これをやったら、たった○○日間で出来る様になる」なんて王道など無いと考えましょう。

 シナプシス形成にはそれなりの時間が必要です。

 同時進行の学習については別途説明したいと思います。

(2010/04/11記)
誤字修正(2010/04/21改)
視覚スキルと発音スキルの関連性、最新研究論追加修正(2010/04/25改)
シナプス形成説明の参照先追加(2010/04/25改)
文書整形(2010/05/22改)